添田町南部にある英彦山神宮は神仏習合の時代を濃く残している神社で、元々は神社ではなく修験道の寺院であり、12世紀より西国修験道の一大拠点として栄えた神社です。
当時僧坊3000余、四十九窟(行場)を有すると言われ栄えていましたが、天正年間に秋月氏・大友両氏の兵火が及んで奉幣殿をはじめ社殿が焼失し、その後の江戸時代・1616年に小倉藩主細川忠興が奉幣殿を再建したものの焼き打ちや寺領廃止もあり打撃を受け、江戸時代以降は衰微しました。1696年に天台修験の別格本山となり、1729年に霊元法皇より霊山であるとして「英」の字が授けられ「英彦山」と称するようになりましたが、明治の神仏分離により修験道が廃止されたので、九州彦山山伏の本山であった霊仙寺を廃し「英彦山神社」に改称された後、1975年6月24日には天皇陛下のお許しを得て戦後全国第三番目の「神宮」に改称され、現在の英彦山神宮になっています。
御本社は英彦山山頂にある上宮で、よく参拝されている社殿は小倉藩主細川忠興が再建した奉幣殿になります。奉幣殿から登った所にある下津宮(下宮)には12の神仏を祀る社殿となっています。英彦山神宮参道は約800mの登りになっているので体力が必要になりますが、体力がある方は参道を歩くのをおススメします。逆に自信がない方は英彦山神社スローブカーを利用すれば楽に移動できます。
祭神は北岳・中岳・南岳を神格化し各峰に1柱をあてています。
主祭神 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命 - 北岳
配神 伊耶那岐命 - 南岳。 伊耶那美命 - 中岳。
神仏習合時代に各神は法体権現・俗体権現・女体権現と称され、合わせて「彦山三所権現」と総称されています。
【北岳】 法体権現 / 天忍穂耳尊 / 阿弥陀如来
【南岳】 俗体権現 /伊弉諾尊 / 釈迦如来
【中岳】 女体権現 / 伊弉冉尊 / 千手観世音菩薩
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