石田城跡(五島市)


石田城は別名福江城とも呼ばれ、幕末の1863年に五島列島一帯を治めていた福江藩の最後の藩主である五島盛徳が完成させた五島氏の居城で、完成時は三方を海に囲まれた日本で唯一の海城であり日本で一番新しい城と言われています。1849年8月から15年の歳月と延べ5万人の人夫・二万両の工費を使って1863年に完成しましたが、その10年後の1873年に明治政府により「廃城令」が出され廃城となりました。今では長崎県指定史跡に登録されています。

現在では石垣は残されており、本丸跡に長崎県立五島高等学校・北の丸跡に五島観光歴史資料館や五島市立図書館、五島市福江文化会館が建てられ、二の丸跡には五島氏庭園が現在も残っており一般公開されています。また2017年4月6日には続日本100名城(187番)に選定されました。




大手門付近の石垣。



大手門。歴代五島藩主の陶板があります。



大手門。五島高等学校の入口になっています。



石田城跡の石垣。



大手門。



大手門。



石田城跡の石垣。



大手門の裏側。



石田城跡の雰囲気



石田城跡の雰囲気。



石田城二の丸の位置にある五島氏庭園入口。



石田城本丸石垣と堀。



石田城本丸石垣と堀。



石田城本丸跡・五島高等学校校舎に入る石橋。



本丸跡に建てられている五島高等学校を見る。



五島高等学校校門。