名護屋城跡(唐津市)


名護屋城は豊臣秀吉が天下統一後に明(中国大陸)への進出の為に九州の大名に築城させた城で、当時の規模では大坂城に次ぐ規模であったとされ、九州の大名により突貫工事で1592年に完成し、文禄・慶長の役の時は日本の経済政治の中心であったとされています。

完成した名護屋城は本丸・二の丸・三の丸・山里曲輪などを配し、天守閣は望楼型5重7階で、金箔を施した瓦が葺かれていたものと考えられています。 豊臣秀吉が死没し文禄・慶長の役以降は、補給・連絡の中継地としての役割を終え、この地を治める寺沢広高によって唐津城が築城される時に名護屋城は解体され、その遺材を使用したとされています。その為、現在では現存する建物はなく石垣等のみが残りましたが国の特別史跡に指定され、2006年には日本100名城(87番)に選定されました。


入場料:無料
駐車場:有(無料)※佐賀県立名護屋城博物館




名護屋城大手口の雰囲気。



名護屋城大手口から搦手口方面を望む。



名護屋城大手口から登城坂を見る。



名護屋城登城坂から東出丸を見る。



名護屋城三ノ丸を見る。



名護屋城三ノ丸の雰囲気。



名護屋城三ノ丸の雰囲気。



名護屋城三ノ丸の雰囲気。



名護屋城三ノ丸の雰囲気。



名護屋城三ノ丸から本丸大手門を結ぶ連絡道。



名護屋城本丸大手門跡。この場所に大手門があったとされる。



名護屋城本丸にある東郷平八郎「名護屋城址」碑。



名護屋城本丸から天守台を見る。



名護屋城天守台の雰囲気。



名護屋城天守台の雰囲気。



名護屋城天守台から呼子大橋を見る。



名護屋城天守台から遊撃丸を見る。



名護屋城天守台から二ノ丸を見る。